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ADM メンバー

青木泰彦のインターン体験記
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田舎者の負けず嫌い
新潟県の元農家の家で生まれ、田植えや稲刈りを手伝いながら育った自分は、
中学で始めた水泳を県内公立高校で続け、高校3年で400Mメドレーリレー全国3位に入賞しました。
リレー種目で上位に来るのは、選手層の厚い都会のチームが常でしたが、
「都会のチームを倒して、新潟が表彰台に乗る」という新潟県チームの念願が叶いました。
当時の僕は「自己ベストを更新したい」という向上心と、「都会スイマーには負けない!」という気持ちをもって、
有名スイマーに挑んでいました。
高校卒業後に進学したのはインカレ11連覇を成し遂げた水泳名門校・中央大学でした。

本気のメンバーと共に戦う楽しさ
中央大学水泳部に集まる選手は、日本代表クラスの選手が多く、
ロンドン五輪に1名、リオ五輪に2名が日本代表に選出されました。
個人としては納得のいく結果を出せず、もどかしい日々を送りましたが、
大学4年時に主将として大学日本一を果たすことができました。
中央大学水泳部では、本気のメンバーと共通の目標を達成する楽しさと難しさを学びました。
チーム目標は「大学日本一」。
この絶対的な共通目標があったので、チーム内でぶつかり合いがあった時も、
チームは分裂せずに学生日本一を達成することができました。

ユニクロアルバイトで知った体育会の強み
水泳引退後、ユニクロでアルバイトを始め、最初に体験したのは「いらっしゃいませ!」等の声出し練習でした。
声出しをクリアした後は、毎朝6時に出社して、
2時間以上の売り場清掃。「本当に終るの!?」と思う量の商品陳列。
営業時間中のレジ打ちでは、何時間も立ちっぱなしで疲れて笑顔を絶やし、厳しく指導されたことも。
6か月間の短期アルバイトで、
水泳の世界で鍛えられた「根性」や「人との接し方」という体育会の強みが、仕事でも通用することを知りました。

アメリカ留学を決断
水泳最優先の大学時代。
個人競技で結果を出せず、勉学もおろそかになって不完全燃焼感を抱いていました。
就職活動で、「国際化や機械化で雇用機会が減る」との話に、
「社会で生き残れるのか」と不安も感じた自分は、水泳引退後は勉強をしたいと考えました。
小さい頃から「スポーツに関わる仕事」が夢で、
水泳の海外合宿で英語の必要性を強く感じた自分は、
「アメリカでスポーツマネジメントの修士号を取得しよう」と決断し、
大学卒業後に銀行から学資ローンを借りて留学しました。

プライドは捨てた留学初期 (2012年~2013年)
英語を喋れなかった自分は、まずインディアナ州で語学留学。
英語テストをクリアして、インディアナ大学スポーツマネジメント修士課程を受験。
中央大学時代の成績に足を引っ張られ、三度の受験で全て不合格。
やっと合格できたのは、
フロリダ州マイアミにあるバリー大学のスポーツマネジメントとMBAのダブルメジャー修士課程でした。
語学留学中は、レストランでのオーダーもできず、
何を注文したか分からず運ばれてきたものを食べていました。
スーパーで店員に話しかけても英語が通じず嫌な顔をされることもありました。
中央大学を知っている人や、僕の水泳の成績を評価してくれる人はおらず、
「英語を喋れないアジア人」として扱われる日々。
「ゼロからの人生を始めた」ことを認識し、「プライドを捨てる」ことを学びました。
プライドを捨てたことで物事を柔軟に考えられるようになった自分は、
バリー大学では時間と費用節約のためMBAだけ取得することを決断。
ビジネスの基礎知識をMBAで学び、
スポーツビジネスは仕事現場で学ぼう、と決めました。

MBA留学での収穫 (2014年~2015年)
2014年夏にマイアミでバリー大学MBAスタート。
社会経験も少なく、英語も上手くない自分が生き残るため、
「一番早く教室に行く」、「一番前の席に座る」、「教授に質問をする」、
「宿題は期限までに出す」、「綺麗な服装で授業に行く」を継続しました。
MBAでビジネスの基礎を学び、
「アメリカでマイノリティの自分でも生き残れる」自信を持つこともできました。
時間をかけて準備をすればテストで良い点数は取れましたし、
周りの学生もテスト前になると頼ってくれるようになりました。
恥ずかしい思いをしながらも、少しずつ周囲から認められて自信がついたMBA留学でした。

アメリカで就職活動 (2014年 秋)
「スポーツビジネスは現場で学ぶ」プラン遂行のため、MBA開始直後にインターン探しを開始。
日本とアメリカで共通するメジャースポーツなので、MLBチームや、野球代理人業の会社をリストアップ。
この時、ホームページを発見し最初にメールでアプローチしたのがADMでした。
ビジネスEメールを書いた経験はありませんでしたが、丁寧な言葉遣いで、
わかりやすい文章を心がけました。
履歴書(レジュメ)を提出し、ADMの三原と電話面接。
その後も三原へのEメールにはとても気を遣いましたし、
1つの文章を書くのにすごく時間をかけました。

ADM三原とのやり取り (2014年 年末)
電話面接から数週間後、
三原から「ビジネス現場で使用する資料作成をしてみませんか?」の連絡が入り、
「是非やらせてください」と即答しました。
試験期間でしたが、仕事を受けて1日以内に第一案を提出。
それから、
ADMのLA(西海岸)と僕の住むマイアミ(東海岸)の時差3時間を挟んで電話を重ね、
資料の修正を1週間続けました。句読点の使い方、データの並び順、フォントの大きさなど、
「ここまでやるの!?」という修正が続きました。
完成した資料はロジックが一貫してわかりやすく、自分が作ったとは思えないものでした。
この資料が日本のビジネス現場で使われた後、
三原から「青木君に作ってもらった資料のおかげで良い結果が出ました」の国際電話をいただきました。
資料作りから数週間後、
「野球クライアントのご家族用に、イベントチケット手配の仕事をやってみますか?」との連絡がありました。
「もちろんです!」と答え、選手と電話でやり取りし、すぐにチケットを手配。
領収書等をEメールで選手に送信すると、
「早急に手配していただき有難うございました。いつか青木さんにお会いできるのを楽しみにしています」と選手から返信を頂きました。
1か月後、選手から「チケット手配のお礼に」と、誕生日プレゼントをいただき、
「自分が人のためになれるんだ。選手やそのご家族の助けになれるんだ。」という喜びと達成感を感じることができました。
資料作りとチケット手配の機会をいただいた時は、
常にスピーディな対応を徹底。「自分の間違いで何かあったら大変だ」とデータチェックにも精力を注ぎました。
選手とのやり取りでは、電話上での言葉遣いやメール文章に最大の注意を払いました。

ADMのお仕事とスポーツ現場を体験 (2015年 春)
資料作りとチケット手配の後、アトランタ出張中の三原を訪ねました。
資料作りやチケット手配を含め、すべてが就職活動の一環だと思っていたので、この時はスーツに革靴で面談に臨みました。
その結果、「日本人学生のためのスポーツビジネス研修をアリゾナで手伝ってみますか?」というオファーをいただきました。
「スポーツビジネスは現場で学ぶ」と考えていた自分には最高のチャンス。迷わずにお願いしました。
研修のお手伝いとして、チケット手配と通訳をすることに。
チケット手配では、英語で、しかも電話でスポーツ観戦チケット等の価格交渉。
研修中は、訪問先で研修内容を通訳。
簡単そうに聞こえますが、アメリカでマイノリティの自分にとって大きな第一歩でした。
なによりも、スポーツツーリズム最先端アリゾナでの、MLB春季キャンプや、大学体育局施設、NBA&NHLの試合、
トップアスリートが利用するトレーニング施設等の訪問は大きな学びでした。
アメリカでスポーツの現場を初めて体験し、飛行機代やホテル代、食費まで会社で負担いただき、
お手伝いと同時に勉強をさせていただいたアリゾナ滞在でした。

ADMで単位取得のインターン (2015年 夏)
アリゾナ滞在後、ADMオフィスに勤務するインターンのお願いを三原にしました。
ADMの繁忙期がMBAの最終学期と重複していましたが、
「このチャンスは二度とこない。インターンを絶対にやりたい」という想いを学校に伝えると、
学校が特例でADMインターンを授業として扱い、
他の授業をオンライン受講としてくれました。
ADMからも許可が出たので、マイアミからLAへ引っ越してインターンを始めました。
最初に任されたのは、アリゾナの各研修先を訪問し、アポ取りや交渉を重ねて、
日本人学生のアメリカ研修をアレンジする仕事。
その中で、NHLやNBAチームとの交渉も経験。
研修中は、進行を司るリーダー的役割で、約30名のグループマネジメント、
引率の先生方とのやり取り、ホテルやバス運転手さんとのやり取りも担当しました。
そして、野球関係の資料作成では、
セイバーメトリクスを学び、データを集めてエクセルに落とし、プレゼンのロジックを整理。
以前はほぼ言われるまま資料を作っていましたが、
ここでは自分の考えを基にゼロから資料を作成する機会をいただきました。
約3か月にわたるADMオフィスでのインターンを終えた後、
インターン評価レポートを大学院に提出。
これが3単位にカウントされ、MBAを取得することができました。

OPTでのお仕事 → 現在 (2016年春~現在)
MBA卒業後、OPTプログラムを利用するとアメリカで1年間働くことができます。
これで、正式にADMからお給料をもらいながら働くことが可能になりました。
ADMと出会って約1年間。
この間に会社から獲得してきた信頼があったので、
アメリカで沢山の仕事を任せていただき、有給のポジションに辿り着くことができたのだと思います。
ステップを1つ1つ踏み、仕事内容が増えて難易度も上がり、
プロジェクトの原価計算や損益計算書の作成、
価格設定なども任されるようになりました。
ADMクライアントのアメリカ自主トレでは、選手と同じ宿に泊まってサポート。
野球選手に会うためカリブの国へ出張も。
大切なクライアント先で単独プレゼンの日本出張も経験。
現在はOPT後の正式雇用に向けて、会社からビザサポートをしていただいています。

今に至るまで
渡米後、
「語学留学 → 大学院 → インターン探し → 資料作り&チケット手配 →
社長面談 → アリゾナ滞在 → 単位取得のインターン → OPTで有給ポジション →
ビザサポートで正式社員」という階段を登ってきました。
留学後の就職活動やビザ更新がうまくいかずに母国へ帰る留学生を何人も見てきたので、
僕はとても幸運だと思っています。
ですが運だけでなく、僕の性格や体育会での経験も、
ADMでのお仕事に辿り着くことができた大きな要因だったと思います。
野球関連の資料作りを任された時は、データをエクセルに落とす作業を家に持ち帰り、
ご飯中もプレゼンのロジックを考え、
土日の朝から晩までカフェにこもってPCに向かうこともあります。
それでも、資料作りで一発OKが出たことはありません。
それだけADMでは資料作りに高い基準が要求されます。
また、急な仕事が発生した時は、臨機応変な対応が必要です。
そのため、日頃から健康的な生活を送り気力と体力を備える必要があります。

お客様から頂く「ありがとう」のために自分を磨く
日本プロ野球選手の米国自主トレサポートでは、
「青木さんがいなかったら、アメリカで何もできなかったと思います。
 有難うございました。来年もお願いします。」というお言葉をいただきました。
ADMの仕事で出会ったお客様からいただいた「ありがとう」の言葉は数え切れません。
これまでの挑戦や努力が報われる瞬間。
お客様が自分を必要としてくださる、と思うと勇気が湧いてきます。
僕自身、渡米してからたくさん恥ずかしい思いをしてきました。
渡米直後、洗濯機の回し方も分からず、携帯電話の契約もできませんでした。
そんな時、いつも周囲の方々に助けていただいて、生き延びてきました。
これからは、アメリカで挑戦する選手やそのご家族にとって、自分がその「助け」になりたい。
日本人アスリートの方々がアメリカでの競技に専念できるように、
自分がアメリカで得た能力と経験と気持ちを注ぎたい。
そのためには、今以上の能力とスキルが必要です。
その能力やスキルを獲得するため、指導を受け、現場ですぐに実践、を繰り返しています。
もともと本を読まなかった自分ですが、「本を読むのは息をするのと同じ」と三原に言われてから、
おススメされた本をすぐに読むようになりました。
ビジネス現場で学んだことはすぐに実践。
これを繰り返し、
自分の能力を高め、お客様からたくさんの「ありがとう」をいただきたいと考えています。