PASSION  1998   現在のビジネスに至るまでの経緯と想い(1998~2003年)
アメリカスポーツへの憧憬 ~ 英語が喋れないアジア人がひとり ~
「プロアスリート」への尊敬は、私の中で「アメリカのスポーツビジネス」への憧憬につながりました。
「日本国内で最大規模のライスボウルにお客様が集まり、試合がTV放映されても、選手は無給。
では、アメリカ社会において、
プロリーグを通じてスポーツの価値はどのように社会の中で循環しているのか?」を研究するため、
選手引退後の1998年秋、マサチューセッツ州立大学スポーツマネジメント大学院に私費留学。

ボストンから車で約2時間の山奥、「日本と香港と韓国は地面が繋がっていて、同じ言語を喋っていると思ってた」
というアメリカ人同級生の中で、「英語が喋れないひとりのアジア人」として33歳でアメリカ生活スタート。
Sports Law の試験でクラス最低点を取って鬱になりかけるも、修士課程から博士課程に進み、
アメリカプロスポーツリーグ経営の研究を続けました。

最初に取り組んだのは、「MLBとNFLのTV放映権」(PDF)プロスポーツTV放映権の高騰は、
日米の差が大きすぎて興味深いテーマでした。
次に「MLB労使協定の歴史」(PDF)リーグのビジネス収入がチームを経て選手に分配される過程を、歴史的に考察。
最後に「プロアスリートが社会で果たす役割」(PDF)で、スポーツ界の社会貢献活動を研究。
これで「ファン(TV視聴者)→リーグ→選手→社会(ファン)」という、アメリカプロスポーツでの価値の循環に納得がいきました。
アメリカの山奥に篭って、5年が過ぎていました。